酔醒石(すいせいせき)

文字サイズ

読書モード

言語

* 简体中文はまだこの章の翻訳がありません

第九回 小忿に逞しくして双命を毒謀す 淫を思いて禍を占め一時に起こる

手を拍ちて狂夫を笑う、色のために身を忘れ、坑を設け陥穽を仕掛けて庸愚を陥れ、静かな夜に丸を探ること朽木を引くが如く、歓娯を遂げんと図る。雲雨は霎時にして無くなり、王法も如何ともし難し。驪を探りて名珠を得たりと自ら謂えど、一時の栄えを買えば終に身首両断、頸血淋漓たり。右、《浪淘沙》の調に倣う。

事が成ればいかなる名目を得るか、事が成らずばいかなる結末を迎えるか。これはかの楊椒山先生が国事を論じたもうた言葉である。私が思うに、人が国家のことに当たり、まこと赤心白意をもって慷慨に担い承るならば、事成りし暁には敢えて忠義の名を求めず、事成らずとも忠義の鬼となることを何か厭わんや。ただ不好き事をなす者は、或いは孟浪に出て、或いは極めて機巧を弄し、事成れば奸盗詐偽に帰し、成らねば絞斬徒流を免れぬ。この結末、この名目は、大いに笑うべきものである。しかもこの結果なく名目なきに身を担いながら、名を図り利を図り、しばらくの快楽を貪ろうとするは、腹を剖いて珠を蔵すも同然。酒色の上の快楽など、たかだか須臾の間、何ほどのものか。これこそ太祖高皇帝の六諭に禁ぜられた「非為をなすなかれ」というものである。されど人は省みることを知らぬ。

京師は天子の膝元なれば、地方を治める府県があり、五城が巡禁にあたり、重ねて緝事衙門、東廠、捕営、錦衣衛がある。一つの官職の名の下には幾多の旗校番役があり、一人の旗校番役の身辺にはまた幾多の幇丁副手がいる。さらに名を冒す者、権力に依附する者もいる。真の密偵は蟻の如く群れ集まり、察知の網は塀を貫く。しかるに人は依然として恐れぬ。今日枷で死なせられれば、翌日にはまた枷にかけられる者が現れ、この案がようやく落着したと思えば、あの案がすでに発覚している。

まとめていえば、五方の好究者が集まり、各省の奔競者が群がる。科挙の前程に関しては、活切頭・飛過海・假印・援納・加納・買缺・挖選・坐缺・養缺など様々な弊がある。銭糧に関しては、上納者には包攬・作偽・短欠・稽延の弊があり、買辦者には領侵・冒破・拖欠の弊がある。かつて本色起解のさい、比征参罰は些細の事も容赦しないのに、奸解奸商の手に渡れば散じて泥沙の如しと見てきた。況や功令は森厳にして、本色の完納は極めて苛酷、十分の収入でも実収はその一二に及ばぬ。一度駁回されれば沈水するが如し。茶蠟・顔料・胖衣は動もすれば数年を滞る。鉄・銅・硝黄の購買も動もすれば数万の滞欠、弊の出ること百般である。

刑名においては、上にあっては請托賄賂があり、下にあっては弄法誣文がある。これらはみな訛棍光棍どもの衣食の種である。それゆえ京師では訛棍が盛んにはびこっている。私が思うに、これらの乾人もつまりは伶俐な者たちである。伶俐な者が、かくも伶俐でないことをなぜするのか。人は彼らが訛詐で人を害すると言うが、天がゆえに彼らを昏昏たらしめ、身を亡ぼす事をなさしめるのである。私に言わせれば、これらはみな前を図って後を忘れ、利を見て害を忘れ、名目と結末について少しも考えないからである。

思えば愚は聖となり、昧ければ愚は狂となる。名の潔きと名の汚れとは、分かれること只だ微かに茫としている。

この者の姓は王、行列では四番目、越中の人である。京師に流寓し、人々は彼を小王四と呼んでいた。生まれつき羊腸のごとき狭量な心術を持ちながら、洞庭湖・溟渤の海のごとき広い懐を装っていた。上は権勢ある監廠内官の毛実、事を生やす府衛勛戚の管家などと交わり、中ほどには緊要な衙門の胥吏番旗、下は枷をかけられても打たれても平気、風を捕らえ影を捉えることに長けた潰皮無籍の輩まで幅広く交友していた。それゆえ少しでも傷がある者があれば、それは言うまでもなく彼の口の中の食となった。和解を買わせれば、そこへ割り込んで打ち合わせる。和解を買わなければ、首告する者は首告し、証人となる者は証人となって、家を破り身を亡ぼすまで休まない。甚だしくは安分守己の富民にも、事件を借りて飛び火させることもある。かくて京師に名を轟かせ、財産を成した。たとえ風力ある城上御史が彼を拿えようとしても倒すことができなかった。万一拿えて処罰しようとしても、聖上の聖旨でもない限り、かならず手を回して難を脱してしまう。

人を嚙む疑いは虎の狡猾さ、猱の狡猾さに似て、黎丘の術よりもさらに幽かなり。王章を象魏に懸けたとて、呑舟の魚も網を漏れて出ずるを見よ。

家には妻一人と妾二人があり、近しい親族には兄弟の王三がいた。金を稼ぐことが容易であるとたかをくくり、毎日朝窠(女郎屋)に出入りし、院子(遊廓)を歩き回っていた。容色のある婦人を見れば、必ず手中に収めるまでは諦めなかった。

ある日、器皿廠の前を歩いていると、一人の子供が「熱々の焼きたてだよ!」と呼ばわっているのが聞こえた。ちょうどその時、小路の奥から「焼き饅頭屋だよ」と答える声がした。この一声は、まるで花の下で春の鳥がさえずるようで、通りがかりの人の足を自ずと緩めさせるものだった。王四はその声の艶やかさを聞いて、わざとゆっくりと歩みを進めた。ちょうど路地の突き当たりで、葦のすだれをめくって一人の女が出てきた。まるで──

一枝の紅杏が垣根の辺りより出でて、東風に揺れてそぞろに靡く様の如し。

彼女は銭十枚を手に持ち、子供に渡して、柳の籠の中から焼き饅頭を六つ、波波(もち菓子)を四つ選んだ。このとき王四はしっかりと見届けた。

暁粧いまだ整わず緑の雲鬆やかに、梨花の蕊のよう、淡き煙に包まれたよう。目の波は流れる玉のよう溶々と、頬はほのかに紅く、脂粉に親しまずとも自ずと工巧。青々と二つの峰は巫山より出でしよう、春の指先は嫩やかに、玉磨きたての如し。丈は尺以上で減らしがたく、柔らかくもまた豊かなり。この艶やかな顔容は、おのずと心に深き思いを起こさせる。右、《係裙腰》の調に倣う。

王四は彼女が中へ入っていくのをじっと見つめ、子供に尋ねた。「あれはどこの娘だ?」子供は答えた。「兵科の写抄をしている老陳の娘さんで、まだ嫁いでいませんよ。」王四は言った。「俺が娶って、三番目の小妾にしてやろう。」そこで媒婆を彼の家に差し向けた。

この老陳も南方の人で、家が貧しく、科中で写抄をして暮らしを立てていた。妻は張氏、息子に陳一があり年は二十歳。干物のような者たちとも付き合いがあった。娘は大姐と呼ばれていた。媒婆が彼の家に行き、まず祝いの言葉をいった。「お宅に吉報がございます。こちらのお王爺様は、京師で最も名のある、最も凄腕の、金も権勢もある方でございます。奥方様がお産の後に体が不自由になって床から起き上がれず、家を取り仕切る方がいないのです。お宅の大姐様が美人で有能とお聞きになり、特に私めをよこされて、掌家娘子(家政を切り盛りする妾)においでいただけまいかとのことでございます。」詳しく聞けば、それはやはり小王四のことだった。

陳一は見識のない若者で、「王老四は京師で立身出世した人。あの方に頼れば、後々良いことがある。受けて構わんだろう」と言った。老陳は「俺にはたった一人の娘しかいない。財主を婿に得て、一家が養ってもらえればそれでいい」と言った。しかし張氏は「この縁談は一朝一夕には決められない、じっくり考えましょう」と言った。それというのも、

蔓草は細く延びて、寄る木を慎んで択ぶべし。蓬や麻に枝を絡ませれば、中途で折れるのを恐れよ。

後に調べると、小王四の家にはすでに二人の妾がいることがわかった。張氏は言った。「こんな人は本当に京の遊び人、楊花のように定まらぬ心の持ち主。妻があっても妾を娶る。妾が二人いてもまた捨てて三人目を娶ろうとする。後で別に好い女を見れば、うちの大姐を捨てないとも限りません。」わざと言葉を引き延ばし、「うちは小さな家で、娘一人を大切にしており、夫婦二人の老後の頼りにしたいと思っています。一人者の男に嫁がせたい、妾にはやりません」と言った。何度かやり取りがあったが、陳家はどうしても承知しなかった。

あのような幽艶な質を、軽薄な者に誤って嫁がせるなかれ。

その後、王四は言った。「彼女がどうしても一人者に嫁ぎたいというなら、弟の王三はまだ妻がいない。王三に娶わせてやろう。」また口を出す者があって、陳家にこう告げた。「あの男に騙されたぞ。許可したとして、王三に嫁ぐか王四に嫁ぐかわかったものか。そもそも王三も、名は兄弟といっても、実際はあの家で籠を提げたり秤を持ったりするだけの下男同然だ。」これによって陳家はやはり承知しなかった。

しばらく経った後、人の仲立ちで、施材という兵士と縁組みが成立した。施材は家に一部屋の住居があり、また二部屋の貸間があって、二口分の軍糧が支給されていた。一口は自分が当番を務め、一口は毎月二銭四分を御馬監に払って当番を免除されていた。毎月合わせて粗米二石が支給され、それを人に売り渡せば八百文の銭、銀一両に相当し、炭代や酒代には十分だった。陳大姐はこの男に嫁いでなかなか良い日々を送った。

朝には炉に火を起こし、砂鍋でお湯を温める。洗顔を済ませ、まず焼き饅頭か甘い粥で朝飯を食べる。昼は勤勉なときは大米か小米のご飯を炊いて二食、そうでなければ麺でもすませる。夕には焼き刀子(焼酎)を買い、銭があれば魚や肉の荤物を、なければ豆腐に葱と蒜。油も少し、醤油や酢も少々、それでどうにか日々を過ごす。昼も夜も炕を離れず寄り添って、これはこれで一対の仲睦まじい夫婦だった。

饑えれば黄粱あり、倦れれば毛布あり、どこへ神仙を求めん。眉を揃えてさらに美しき妻、洛川を神遊して詠う必要もなし。

ところがある日、所属の兵籍に回状が届き、昌平州に赴いて皇陵の工事をするよう命じられた。情を通じて断ろうとしたが、逃れられなかった。妻は若い女性で独居するには不便なので、大姐を丈人(岳父)の家に預け、自分は工事に向かった。昌平は京師から六十里、赴いて二ヶ月、一向に便りがなかった。人に頼んで消息を尋ねると、「内相の家の工事に呼ばれた」とも、「工事に耐えられず内相に難儀させられて逃げた」とも、「城外で薪を切っていて兵馬に捕まったらしい」とも言う者があったが、確かな情報は何もなかった。陳大姐は自分で銭を出して兄に頼んで探らせたが、それでも確かな情報は得られなかった。こうして一年余りが過ぎ、陳大姐はまるで生きながら寡婦のような日々を送った。

亀の卦を占い尽くしても、夫の消息はまだ定まらず。空の部屋に虚ろな枕と筵、灯の影の中に独り身を移す。

そのころ阮良という者がいた。金華の人で、年は二十四五歳、陳一と義兄弟の契りを結んでいた。常々この家に出入りし、善意とはいえない下心があって、しきりに言葉を弄して大姐をたらしこもうとしていた。しかし大姐は気丈な性格で、阮良をあまり相手にしなかった。彼はしばしばこう言っていた。「施の姐夫は久しく消息がなく、おそらくはもうこの世の人ではあるまい。妹は竹のようにしなやかな年頃で、花のような美しさ、あの男のために無駄にするのはもったいない。そろそろ動き出したらどうですか。」老陳は真面目な人で、「夫のある女を誰が娶る。急いで嫁がせても、もし夫が生きているとなれば、泥でも人は作れない、官司(訴訟)に巻き込まれてしまう」と言った。阮良は「妹が嫁ぐ気になれば、俺は衙門に顔が利くから先に証書を取ってやる、何も怖くない」と言った。しかし陳大姐自身が言った。「食べる物も使う物もあります。何のために嫁ぐものですか。」

水草のように流れに漂えど、夫婦の縁は蓬戸の中にも幽かな貞節あり。

こうしてまた一ヶ月余りが過ぎた。

ある日突然、二人の男が入ってきた。後ろの一人は青衣に四角い頭巾をかぶり、目隠しをつけ、首に縄を結わえていた。有無を言わさず老陳を一緒に縛り、内巡捕衙門へ連行し、五夜鋪(拘置所)に入れた。陳一は慌てて表に出ることもできず、人に頼んで聞き合わせると、兵部の書辦が偽の印章入り札付を作ったとのことで、老陳がかつてその一枚を人に売ってやったと言われているのだった。内臣衙門は金があれば放り、金がなければ死を待つばかり。皇上が情弊を明察し、安民廠の火災の際、内外緝事衙門に厳しく戒諭を下したとはいえ、弊習を完全に改革することはできなかった。老陳は無関係と弁明できても、急ぎ釈放されるわけではなかった。

官法は苛烈にして荼の如く、胥吏の悪は毒にして虎の如し。神に通ずるにも十万の銭なければ、いかにして棰楚を免れん。

阮良がやって来て言った。「この件は明らかに冤罪です。しかし衙門でもあなた一人を冤んでいるわけではない。よほどの財力がなければ抜け出せない。私が見るに、王四は手腕のある男。彼は以前から妹を妾にしたがっていた。今こそ仲立ちして妹を彼に渡せば、すぐに牢を出られますよ。」張氏は焦り苛立っていたが、「その王四とやらを言うな!天理があるなら自分で出てくる。」と言った。陳大姐も阮良をちらりと見て、「嫁ぎません。余計なお世話です。」と言った。阮良は笑って言った。「大姐、夜は長いですよ。苦しんでいる人を見つけられなくて困りますぞ。」陳大姐は腹を立てて言った。「出て行け!これからそんな馬鹿げたことを言いに来るな!」

これも縁あってのことだった。阮良は面目を失って外に出、少し歩いたところでちょうど王四に出くわした。王四は言った。「阮小兄、どこへ行くんだ?」阮良は気に入られようとして言った。「今日は善意でしたのに、口うるさい女に一杯食わされましたよ。」王四は言った。「あのすべた女が豹の胆でも食ったのか、俺の兄弟を怒らせるとは!俺が行ってそいつの毛を剥いてやる、兄弟の腹の虫を晴らしてやろう。」引っ張って行こうとして「どこの娼婦の家だ?」と聞いた。阮良は「娼婦じゃない、気位の高い陳の娘だ。夫は行方知れず、父親は捕まっている、俺が仲立ちして兄貴に渡せば父親を救ってやれると言ったのに、あの小娼婦は聞く耳持たずに怒鳴り散らして、もう来るなとまで言う。陳一にしても、兄貴ほどとは言わないが、名目上は兄弟の俺だ。ひとこと止めるどころか、好き勝手に言わせておいた。」王四は言った。「それなら怒るな、ゆっくりと弄してやろう。まず俺の家で一杯やらないか。」

青州の従事(良酒)を手に入れ、平原の督郵(悪酒)を退ける。人は煩悩をたちどころに消すというが、俺は却って戦の鎌が起こるのを憂う。

ところがこの酒、飲むほどに悪い方向へ進んでいった。家に帰り、王四は酒を持ってこさせた。まず炒り骨、次いで腸詰めの碗、さらに揚げ鶏・焼き豚の胃・皮のパリパリ煎り物、酒は宮廷直送の内酒。いよいよ飲もうとしたところへ王三がちょうど入ってきた。王四が声をかけて座らせ、酒を飲んだ。阮良がまた言った。「陳大姐の母子は言うことを聞かん、ひどい話だ。」王四が怒鳴った。「陳大姐はそんなに高貴なのか、何としてもひと泡吹かせてやる。」阮良も言った。「俺もひと泡吹かせて腹いせしたい。」王三は言った。「あいつが俺たちに嫁ぎたくないんだから、どうやって泡吹かせるんだ?」

よく言うように、色胆は天のように大きい。酒が入ればさらに天より大きくなる。王三はしばらく考えて言った。「陳一の母子が家にいない隙に、力ずくで連れ出して家に連れ込み、好き勝手にしてしまえばいい。」阮良は言った。「四兄貴、それなら俺は泡を吹かせられないな。」王四は荒くれ者の頭で考えてから言った。「俺には絶妙の計がある。あいつの根を断てば陳大を占めることができる。」それだけ言って、阮良の耳に口を寄せて数句ささやいた。そして「明晩さっそくお前を使う。事が成れば紋銀二十両、お前にも良い嫁さんを世話してやる。」と言った。王四は王三にも密かに話した。王三は「少々やりすぎだ」と言った。その日は酒が散じた。

断金の交わりは三人にあり、鬼謀は天地を蔑する。誰が知ろう、酒の中の謀が、身を亡ぼす計を醸すとは。

翌日は二月五日。陳家の母と娘は家で、官事が解決せず救う方法もなく案じていた。すると阮良が敷居をまたいで入ってきて言った。「昨日酔っぱらって無礼をいたしました、今日は謝りに参りました。」陳大姐は聞いて相手にもせず、顔を向こうに向けて炕の壁に向かって座っていた。陳一は言った。「兄弟、来るのはいいが、これからは言葉に気をつけてくれ。」阮良は言った。「大姐は俺を怒っているし、お乾娘(義理の母)も顔色がよくない。俺はただこの二人と飲みに行くだけだ。」陳一は「やめろ、やめろ」と言ったが、阮良に引っ張られ、二人はそのまま出かけてしまった。

この外出は──楽しさを求めて三杯の酒も見えず、中に入れば七尺の命も完うし難し。

しばらく経って、初更(夜の七時ごろ)になろうかというとき、張氏は「夜が更けてきたのに、なぜ帰らないのか」と言った。すると阮良が手に一つのものを持って急ぎ足で入ってきた。それは陳一が着て出た古い青布の道袍だった。「さっき老一と酒を飲んで、出てきたら張禿子という男と出くわしました。老一が銀を借りていると言って、一方は返せと言い、一方は持っていないと言って、口論になりました。この道袍を証しにして、早く救いに来てほしいと言われました。」張氏は「私は八ヶ月の身ごもりで、体が大きく歩けません」と言った。阮良は「だからこそあなたの体のように大きな方が、相手が恐れます。どうぞ行ってください、私が支えて歩きます」と言い、一方では支えながら一方では引っ張るようにして家の外へ連れ出した。

陳大姐は何事かわからず、家で心に不安を抱えていた。一方の場では、阮良は本当に陳一を酒に誘い出していた。日暮れが近づき、器皿廠の前に差し掛かった。阮良は言った。「廠の近くに遊女屋があるから、ついでに覗いていこう。」強引に連れて歩き、人家のない土の坡の端まで来ると、陳一が油断した瞬間、王四が煉瓦で太陽穴を打ちつけた。陳一は地面に倒れて気絶した。王三と阮良が蹴りを加え、たちまち息絶えた。

三匹の虎が一匹の羊を狙えば、命のいかに保てるものか。

阮良は死体から外套を剥ぎ、それを張氏を呼び出す証しに使った。張氏が到着して息子が倒れているのを見て、身をかがめて確かめようとした刹那、三人の凶漢が一斉に手を下し、彼女をも亡き者にした。

詭計をもって歓娯を求め、狂謀は忌むべきことを図る。哀れ母子の身は、路傍に横たわる屍となりぬ。

阮良は言った。「陳大姐はもう後ろ盾のいる者はいない。みんなで行こう。」さらに張氏の遺体から絹の裙を剥いだ。阮良が先頭に立って陳家に駆けつけると、陳大姐はぼんやりと炕の上に座り、一盏の孤燈に向かって待ち続けていたが、なんの知らせも来なかった。突然阮良が駆け込んで来て言った。「お母さんが行く途中で、争いに巻き込まれて気を失った。この裙を証しにして、早く来るように言ってきた。」そう言いながら炕の前に来て引っ張った。陳大姐は「私が行ってどうなるか」と言った。もう一人の男も入ってきて一緒に引っ張り、「行け、行け」と言った。大姐はこのとき慌ててしまい、急いで叫ぼうとした。ところが阮良は卓の上から台所の包丁をひっつかみ、「声を出したら殺す!」と言った。先の男が口を押さえ、もう一人がするりと飛び込んで灯を吹き消した。阮良は体を陳大姐の上にのしかかり、大姐はすでに炕の上に押し倒されていた。両手はそれぞれ違う男に押さえられ、阮良はたちまち下着を剥ぎ、足を持ち上げて、真っ先に犯した。

澗の花は幽かな芳香を抱き、岩の谷間に向かって香りを含む。いかに蜂と蝶の狂おしさ、紛々として軽薄に恣にす。

陳大姐はもがいて動けず、口から声も出せず、しばらくの間なすがままにされた。それが終わると、もう一人の声がした。「この小娼婦め、何度求めても肯かなかったが、今日は俺の手に入ったぞ。」この男はさらに乱暴に迫ってきた。大姐はただ受け入れるしかなく、心の中でこれはきっと王四だと思った。またしばらくして、傍らの声がした。「お前はもう思い通りにした、俺に代わってくれ。」二番目の男が抜き出て、また一人がのしかかり、そのとき口を押さえていた手が放れた。陳大姐は急いで叫んだ。「強盗、人殺し、強姦だ!隣の人、助けてくれ!」この一声の叫びに、男たちは慌てて起き上がった。陳大姐も身を起こしたが、この者どもはあれこれと支え押し引っ張りして、部屋の戸口から外へ連れ出そうとした。その中の一人が大姐の膝褲の桃紅色の紐を解こうとした。ちょうど小路を出ようとしたとき、路地の口にはすでに叫び声を聞きつけた人が戸を開けていた。三人はやむなく陳大姐を捨てて、どっと逃げ去った。

蜂は狂い蝶は横暴に苦しめ、零落した寒香は幾許もなし。幸い護花の鈴索は密にして、一枝はなお岩の陰に残れり。

陳大姐はようやく心を落ち着かせ、衣服を整えると、自ら隣人たちにこの苦しみを語った。

折よく内巡捕の把牌が夜回りをしていた。この把牌は静かな裏道を好んで回り、一頭の馬に乗り、一対の青板子を持ち、遠くには一対のオリーブ核の形の灯篭がついていた。黒い影の中に二人の酔っぱらいのような者が坡の端に倒れているのが見えた。「早く人を呼んで来て、醒ましてやれ!」拿りに行ってみると、二つの死体で、誰が殺したかわからなかった。急いで地方の居民を呼び、灯の下で身元を確かめさせると、その中の一人が言った。「この男は廠の前に住む陳一に似ています。」把牌は直ちに人を遣わしてこの男と一緒に遺族を呼びに行かせた。一行がやって来ると、陳大姐がちょうどそこにいて、兄と母が騙されて出かけ、行方がわからなくなったと話していた。差人が器皿廠の坡の下で打ち殺されていると告げると、大姐は声を上げて泣いた。

恨むらくは紅顔多く薄命にして、骨肉をたちまちに溝渠に陨とさしめたことよ。

戸に鍵をかけ、近所の人々数人と一緒に把牌のところへ行った。兄は先に阮良に酒に誘われて出て行き、母も阮良に「兄が人と喧嘩した」と嘘をつかれて誘い出され、どのようにして殺されたかわからないと訴えた。二更(夜の九時ごろ)頃、二人の男と一緒に強姦しにやって来た。その中の一人が話し振りから小王四だとわかった。二人が事を済ませた後、叫び声で隣人が気づき、逃げ散った。把牌はただちに各地の隣佑たちに番旗と協力して下手人を逮捕するよう命じた。一晩中大騒ぎして追ったが、その時にはみな逃げ去っていた。家族や親戚縁者が逮捕されて、次々と供述で芋蔓を手繰るようにして、三日のうちにみな遠い場所から連行された。人命の事は重大であり、荷担した者が多くとも、有耶無耶には済まされなかった。冤魂が纏いついて、逃げようとしても逃げられなかったのである。

天の心は厳しく因果応報あり、王法は奸頑を懲らす。笑うべきは痴愚の輩、檻の中から脱けようとしても難しいことよ。

三人は逃げたが、すでに供状を出していたも同然だった。把牌は陳大姐の口述に基づき、一節一節を精しく審理し、夾杖・鞭打ちを加えた。人命については、王四が主謀、阮良と王三が実行犯。奸淫については、最初は阮良、二度目は王四、王三は奸淫未遂。陳一を打ち殺したについては、最初に致命傷を与えたのが王四、後が阮良と王三。張氏を打ち殺したについては、阮良が先に腹を蹴り、その後王四と王三が蹴り打ちして死に至らしめた。陳大姐への奸淫については、刃物で脅し、膝褲の紐を解き引っ張ったのが阮良、口を塞ぎ左手を引っ張ったのが王三、灯を吹き消し右手を押さえ支えたのが王四。一つ一つ供述は明白だった。まるで──

秦宮の鏡が炳として照らし、神禹の鼎に鋳られるが如し。奸状はいかに幽かとも、縷々として明るみに出でたり。

巡捕の長官は馬太監で、供状を見ると、殺人と強姦はともに死罪に当たる大罪であった。さらに張氏の腹には八ヶ月の胎児があり、母の死によって子も死んだのは、直接打ち殺したのではないとはいえ、死に至った因果はある。検証は明らかで、彼は一家無辜の三命を殺したとして具題し、刑部に参送した。近ごろ刑部は批駁が厳しく参罰が重く、縉紳の間でも畏れ遠ざける場所となっていた。十人中八九は孝廉や官生で、気骨ある者は少ない。厂衛・材営から参送されれば、異を立てることはほとんどなかった。ただ供詞と参語に基づいて律例の一条を探し、合致させるだけ。一人を重く裁いて軽くすることなく、入罪あっても無罪放免なし。これが官身を保つ妙策だった。

原参の三命について、刑部もやはり三命として扱った。王四を凌遅(最も残酷な死刑)に擬し、阮良と王三を即決処刑に擬した。上疏されると、幸いにも聖主は刑獄を慎重に扱い、腹の中の子は形はあるが生命は定まっていないとして、本当に三命として扱えるかどうか、刑部に再審を命じた。前回は刑部が捕営の判断に従ったが、今回は刑部が聖意を体して、三命とすることは敢えてしなかった。王四・阮良・王三はいずれも斬罪に擬された。その間阮良はいくつかの箇所で夾杖を加えられ、刑部でひとり死亡した。聖旨が降り、王四は即刻関係官員が集まって処刑、阮良の遺体は死後処刑(戮屍)、王三は監候(留置)処刑、陳大姐は釈放して家に帰すこととなった。文書房が差票と紅本を書いて刑科に送った。刑科の科官が署名し、校尉が刑部に持参した。錦衣衛官が罪人を縛り、刑部官とともに西角頭へ護送した。すでに都察院から御史一員が監刑のために出張していた。

王四はここに至って、十の口があっても弁明できず、八本の腕があっても逃れられず、二十双の足があっても走れなかった。日ごろ酒食に付き合っていた光棍も、妻一人妾二人も、ただ目を開けて首が切られるのを見届けるだけだった。

今の涙を流すなかれ、当日の過ちを思うべし。陳の御子を見よ、いかなる故に泥中に身を陨としたるかを。

つまるところ王四は凶悪の極みで、天理が必ずや除かんとしたのだ。それゆえ神差し鬼使わして、こういう行いをさせ、奸淫の時にあの二句の供述を吐かせた。天下に、二人を殺して命で贖わずに済み、人を強姦して発覚せずに済む理があろうか。もし当日陳氏の母子を打ち殺した後、さらに陳大姐をも亡き者にしたなら、この事が誰によるものか知れず、地方の隣佑の累となること小さくなかっただろう。もし三人が陳大姐を連れ去って人目につかぬ場所に隠し、ゆっくりと姦淫を続けて事が露顕しなければ、人々は陳大姐が間男と共謀して母と兄を殺し、どこかへ逃げたものと思い込み、真相の明らかにならない疑案となっていただろう。

私が笑うのは、こういうことである。

 華堂の美しき棟、日々居すれど座る場は膝ほどの広さにすぎず。

 錦の被布と絹の帳、夜に臥せれど眠れるは筵一枚のみ。

 炮龍炙鳳の美食、供するはただ一口の胃を満たすのみ。

 珠の下衣と紈の袴、着るはただ一身に過ぎず。

 骨髄を竭くして骷髏に奉ずる、それもまた色ゆえ。

 馬牛の如く働きて子孫のためにす、それもまた財ゆえ。

ただ一人の陳大姐のために、自分の妻一人妾二人を白首まで共にできなくなり、どこに嫁ることになるかも知れない。ただ二十両の銀のために、自分の一条の命を保てず、ついに刑戮に死した。得るものは何だったのか、これほどの果てに至るとは。陳大姐の夫と父について言えば、人々はいずれも王四一味の機知だという。陳大姐の夫は依然として行方不明。しかし父親は、この事件によってかえって冤罪が晴れた。この様子を見れば、機心が何の役に立つというのか!

もしこれらの奸徒どもが、平日から考えを巡らせていたならば、事が成っても一刻の歓娯に過ぎず、何の良い名目もない。事が成らなければ必ず家を破り身を亡ぼすことになり、どんなに熱い心もみな冷め切ってしまうと気づいたはずだ。惜しいかな、三思できる者は少なかったのである。