第六回 高才の生、世に失して原形を現す 義気の友、孤を念いて俸を半ばにす
《満江紅》
造物に証拠なく、東君の意のままに縦横に操られる。江の花に筆が輝き、李の囊に険しき句を秘めても、柳神の汁に染まらねば、錦字の機に注がれることも期し難い。たとえ一朝の得意に江頭の宴に列しても、それが何の奇事だというのか。
さりとてよいか、軽々しく志を弄び、僚友として当世を藐にしてみよ。古来、放縦に驕れる者、栄華の拠り所は脆い。まして一腔の傲慢の気は、高天と厚地にさえ容れられぬ。ついに異類に変じて初めて心灰となっても、誰に訴えるべきか。
そもそも人は何かに頼ってはならない。頼るものがあれば、必ずその頼るものによって敗れる。泳ぎの巧者は溺れ、乗馬の巧者は落馬する。これは道理の必然である。権勢を頼む者は権勢に死に、力を頼む者は力に死に、謀を頼む者は謀に死に、詐を頼む者は詐に死に、才を頼む者は才に死に、智を頼む者は智に死ぬ。権勢・力・謀・詐は、自ずと罠や落とし穴を作り出してそこへ追い込まれるものであり、あえて言うほどのことでもない。しかし才智ある者は人の宝とも言うべきものだ。上は国家を治め天下を平らかにし、下は富を築き功名を得る。にもかかわらず、なぜそれを頼ってはならないと言うのか。孟夫子はよく言われた。「盆成括は小才があっても君子の大道を知らず、それゆえ自ら命を失うに足りるだけだ」と。ここでひとつ、古来より才を頼みにして身を誤った者の例を挙げてみよう。
唐の時代に杜舎人という者がいた。弱冠にして科挙に及第し、その名は京師に轟いた。あるとき寺に遊んだところ、禅僧が粗衣を纏って独り坐っていた。杜の姓名を尋ね、また何を業とするかを尋ねると、傍の人が連続及第を誇って見せた。僧は笑って「まったく存じませぬ」と言った。杜は驚きため息をついて、詩を書き付けた。
家は城の南、社の曲がり角にあり、二枝の仙桂はひとときに芳し。禅僧はいまだ名も知らず、ここに初めて空門の意味の深さを覚えたり。
兄弟二人が進士に及第したとても、俗人がどれほど追い奉っても、黄面の瞿曇(仏陀)を驚かすには足りない。このとき自ら省みれば、特段の栄耀などは見えず、ただ人に知られていないだけで、誰かに嘲笑された訳でもない。また鄭禮臣という者は、翰林院に入ったばかりで得意な言葉を述べ立て続けた。同席の人々がみな対応できず、大いに座が白けた。傍で酒の席に侍る妓女が一籌を投じ、禮臣を指してこう言った。「学士の言葉は徳色がありますが、学士の清貴なること、所詮は人の知り次第のこと。李隙や劉承雍も嘗て同じ地位にありましたが、それが声価を高めましたか。」一同は笑い、禮臣は盃を満たして自ら罰杯を仰ぎ、それ以上は言わなかった。妓女の面前で叱責を受け、罰を受けながらも辞せぬとは、傲慢のひと字はまったく使い途がないとわかる。しかしこれもただ嘲笑されたに過ぎず、実害はなかった。ところが蕭穎士という者は才を頼んで物を傲り、常に酒壷を携えて郊外を独り彷徨し、独酌して独吟した。折しも風雨が急に訪れ、紫衣の老人が童子を連れて雨宿りに来た。穎士はその老人を無頼な者と見てはなはだ侮辱した。しばらくして雨が晴れると、車馬が突然やって来て、老人は馬に乗り呵殿(随行者を叱って道を開けさせること)して去った。傍の者に尋ねれば、王尚書であった。翌日、書状を持って門を訪ねて謝罪すると、王はその者を廊下の下に呼び入れて坐らせ、叱って言った。「汝は文学を恃んでかかる侮慢なることをしたが、ただ一第で終わるのか!」穎士はそれ以降、詞科の試験に赴くことを恐れ、ついに揚州の功曹で生を終えた。これは傲慢のひと字によって仕途に障りが生じた例だ。しかしこれもただ仕途の不遇に過ぎず、貧困や死亡に至ったわけではない。また陳通方という者は若くして及第した。同年の王播は五十六歳であった。通方は戯れに播の背を叩いて「王老、王老、一第を贈り申す」と言った。播は大いに怒った。通方が家の喪に帰っている間に、播は連続して高い科第に登り、すでに判監鉄(官職名)に就いていた。通方は窮し落ちぶれて、同年の李虚中に引き立てを頼んだ。王は已むを得ず、江西の院官に任命して赴任させたが、着任前にまた浙東院に改め、途中までで南陵院に改め、かくのごとく何度も繰り返して、窮乏は日ごとに甚だしくなった。退いて自分の過ちを省みて、知人に言った。「ちょっとした冗談をしたのに、王公がそれほど深く恨むとは思わなかった。」王が宰相になると、通方は恨み望むうちに死んだ。これは身家命脈のすべてが傲慢によって失われた例だ。傲慢な人に良い結末はない。人々は書を読み、皆これを知りながら、それでも多くが同じ道を踏むのは、才智を頼みすぎるゆえに他ならない。詩に言う。
奇才は世間に稀なりといえど、ひけらかせば稀でもなくなる。もし孔子や顔回がこの日に生まれていれば、諸君の面目も立てがたかろう。
さらにひとつ、奇中の奇ともいうべき、意表を突いた出来事がある。ある人物が才を頼んで物を傲り、憤世嫉俗の末に異類に変じた。異類に変じてからも人の言葉を語り、自ら悔恨の意を明かした。以下にゆっくりと詳しく述べよう。
唐の玄宗皇帝の時代、隴西の人、李微は皇族の子であった。虢略に家を構え、若くして博学、詩詞書翰にわたって工みでないものはなかった。真に下筆して千言をなし、馬前を倚りながら筆を待たせる才であった。しかし彼は才を頼んで物を傲り、眼中に人なしとするふうであった。同時代の才子、李白・杜甫・高適・岑参の流れと雖も、一頭を譲ろうとしなかった。功名ということを手の中に握り、卿相も立ちどころに得られると称して、終日猖狂放縦であった。当時の人々も彼を才子と言って、敢えて抗衡しようとしなかった。彼はいよいよ自尊自大になった。弱冠の前に郷試の薦めを受けて京師に貢せられたが、十科にわたって一第も得られなかった。才を頼みすぎて科目の様式に従おうとせず、あるいは躁急で誤りを犯し、ゆえに合格に至らず、常に落第させられた。ただ一つ良い点は、唐の時代には年に一度試験があり、今の三年に一度とは違ったことだ。ゆえに十科といえども、十余年遅れるに過ぎない。李微は一度不合格になるたびに一度試験官を罵り、眼が節穴だ、文字が読めぬのだと言った。また及第した者どもを「黄口の子供め、腐れ頭巾め、みな受かりおって。我らがかくも高才でありながら落ちぶれているのに、どんな面をして私に顔向けできるか!」と罵った。憤懑やる方なき気と放縦傲慢な言葉が心中にも口にも溢れ、天を恨み人を咎め続けた。第十一科の試験でようやく一第を得たが、その名次は高くなかった。唐の資格では、進士及第の者のうち上位の数名は七品の京官に選ばれ、その余は高位が県令、次が県丞、次が県尉や丞尉の類となる。働きがよければ尉史に採用され、甚だしければ西台に入る。採用されなければ再び詞科を受験する。試験で連続して高点を取れば翰林や台省に入る。それゆえ李微は進士に及第したものの、県尉の職に選ばれ、さらに河南商丘県の県尉に転じた。自分は皇族の高才でありながら下役に身を落として俗吏と伍することを余儀なくされ、常に悒々として楽しまなかった。いっそう傲慢となり、人を軽んじ侮辱することに際限がなく、僚友のすべてが堪えられなかった。
ある日、同舎の者と会飲し、幾杯か多く飲んだところで酒に乗じて言った。「わたしは皇家の子であり、才は遷・固(班固と司馬遷)に勝る。諸君はたとえ口が三尺あり手が五斤重くとも、何者であるか。なぜわたしと伍を同じくするのか!」僚友はみな白眼を向けて忌み嫌ったが、どうすることもできなかった。微の任満ちて補選の時になると、関係者がその放縦を嫌って推薦しようとせず、京に戻って補選を受けることができず、退いて家に居ることとなった。いっそう傲慢となり、誰とも交わらなかった。ときどき詩賦を作ったが、すべて牢愁不平の言葉ばかりで、屈原の君を愛し国を憂う心は毫もなく、かえって楊惲の誹謗と傲慢の意が溢れていた。平日の食牛扛鼎の才気はすべて、声を呑んで恨みを飲む腹立ちに変わってしまった。ときとして、目が字も読めぬのに高位にある者や、権力を握って自分を引き上げようとしない者のことを思うと、ひと口に水さえ飲み込んでしまいたいほど憎んだ。このような思いを持つようになってから、のちに異類に変じる種が植え付けられたのである。詩に言う。
馬を描いた者は馬の胎に入り、怨憤はいかに災をなさずにいられようか。もとより仏性は平等のみ、六道を離れて蓮台に坐せんとするなら。
李微が家に居ること一年余り、旅の資金は尽きた。日々の糧に窮し、やむを得ず知己を訪ねて旅に出ることを考えた。多少の収穫があれば、その半分は妻子の衣食のため、もう半分は京に上っての補選の費用にするつもりだった。算段をつけて路費を工面し、行李を整えて妻子に別れを告げた。僕者二人を連れた。一人は応栄、一人は宜禄という。虢略より南へ向かって湖広の地に至った。そのとき府や県の長吏に同年の故旧はそれほど多くはなかったが、日頃より才名があったため、人はみな彼を敬重した。しかも彼の傲放猖狂ぶりを人々はかえって恐れていた。傲放猖狂な者を人がなぜ恐れるのか?才ある者は口を開けば文章をなし、諷刺するところがあれば賦にし、詩にし、伝記にして、人々に伝え広まる。もし好ましくない事柄があれば、当世の嘲笑を受けるだけでなく後世の笑いものになる。ゆえに人は多く彼を恐れる。古人に言う。「才士の舌鋒を避け、文士の筆鋒を避けよ」と。まさにこういった人物のことを言ったのである。このとき各地の官長はみな門を開いて彼を迎え、宴遊を共にした。頼み事があれば断らなかった。別れを告げるときは、それぞれ厚く贈り物をして嚢を満たしてくれた。微にはなおそれで足りず、さらに金陵に赴いた。金陵は古帝王の都であり、名跡が多い。微はいたるところで詩を刻み、人はみな賞賛した。金陵の官長の厚遇も湖広と変わらなかった。ほぼ一年の間に得た贈り物は二三千金に達した。微はようやく気が晴れて、虢略に帰ることを謀った。帰路を歩みながら、また官吏であったころのことを思い出し、忽忽として楽しまなかった。かつての怨恨憤懑の思いがまた顔色に現れた。ある日、汝墳の地に至って身体が疲れを感じ、僕人に宿を探させ、数日休んでゆっくり歩こうとした。ところが思いがけず突然に発狂し、咆哮して跳び叫ぶこと虎や狼のごとくであった。二人の僕人は何が起きたのかさっぱり分からなかった。近づいても打ち、遠ざかっても打たれる。世話をしに近寄れば足蹴にして噛みつき、世話をしなければ雷のように怒鳴り叫ぶ。門の閂や天秤棒など手に触れるものは何でも打ちつける。二人の僕人は昼も夜もあったものではなかった。十日余りが経ち、狂乱はますます激しく、髪を振り乱して衣服を脱ぎ捨て、体面のひとかけらもなく、ただ街に飛び出そうとする。二人にはどうして引き止める力があろう。突然ある夜、店の門を開けると一直線に走り出した。夜は暗く、二人の僕には追いかける勇気がなく、ただ彼の行くままに任せた。翌朝、ふたりで探し回ったが、影も形もなかった。往来の人に尋ねても誰も見ていなかった。川辺や井戸でもくまなく探したが、どこにも手がかりなかった。やむを得ず店の中でぼんやりと一か月待ったが、音信は杳として届かなかった。ふたりはもう死んだと思い、黒い心を起こして、主人の家のことも、家にいる主母のことも、幼い子供のことも顧みず、銀子と行李をふたつに分けて、それぞれが一半を得て、逃げ散ってしまった。李微の妻子は家で人が帰るのを待ち続け、便りの来るのを待ち続けたが、子はやっと十五六歳で父を探しに遠くへ出る胆力もなく、家には頼れるものもなく、真に言葉もないほどの苦しさであった。
旅にあっては僕のみを頼みとするが、義僕とは古来幾人あったか。
主を裏切り資財を持ち逃げて利を図り、虢略へ帰る道程を思わぬのか。
さて李微はあの夜に門を出て、ひと走りで二三十里を行き、ある山間に至ったとき、両手を地につけて走るようになった。このとき心の中ではかえって幾分明晰になっており、自分の腕に毛が生えてきているのが見えた。小川の畔に行って映して見ると、自分はすでに斑毛の老虎に変わっていた。一声吠えてみると、真に天地が震えた。一跳びしてみると、風が巻いて転じた。自ら恥じ憤ったが、どうすることもできず、人を呑み獣を食う生活を始めた。そのころ商于の界隈に、異虎が現れて人を食うとの噂が広まり、往来の商旅は早朝や夕暮れには道を歩けず、巳・午・未の三時だけに連れ立って通るようになった。
聞くに牛哀は虎に化したとか、文士もまた牛哀となろうとは誰が知ろう。
龍に乗る縁に恵まれず、山の君となりて憤懑を晴らすばかり。
もとより凶悪な者が異類に変じることがある。郗皇后は嫉妬ゆえに蟒に変じ、新鄭の婦人は姑に逆らって犬に変じ、ある官吏は貪欲狠毒ゆえに牛に変じ、封邵は暴虐残忍ゆえに虎に変じた。道理としてはあり得ることだ。しかし李微は文士に過ぎず、放縦傲慢がゆえにここに至ったとは、何と哀しいことか。
ほぼ一年が経った。陳郡の人、李嚴は監察御史として詔を奉じて嶺南に出使し、公務を処理するために商于の界に差しかかり、驛中に一夜の宿を取った。勅命の期限があるため、遅延することを許さなかった。翌朝の夜明け前に出立しようとすると、驛吏が申し上げた。「界の嶺上に異虎がいて人を食い、もうじき一年になります。道往く旅人はみな日が高くなってから出発します。今はまだ早く、行人もまだ少ない。虎が必ず出て人を噛みます。どうかしばらくお待ちいただき、日が高くなってから前進してください。」嚴は信じようとせず「このような大道に虎がどこにいるか。盗賊が脅すためにわざと言いふらしているだけだ」と言った。驛吏が重ねて申し上げると、嚴は怒って言った。「私は天子の使いで、前に先導があり後ろに護衛がいる。騎従の者は数百に下らず、山野の獣が何の害をなせようか!」と言って直ちに出立した。驛吏はそれ以上言えず、任せるほかなかった。一里も行かぬうちに、平坦な道の茂みの中から、果たして斑毛の猛虎が一頭、突然現れ、ちょうど嚴の馬の前に立ち塞がった。従者は防ぎようもなく、四方に逃げ散り、馬もまた棹立ちになった。嚴は極度の驚愕の中で計のしようもなかったが、その虎が嚴をひと目見ると、急いで身を翻して、もとの草の中に身を隠した。嚴がようやく馬を制したとき、虎の人言が聞こえた。「危うかった、故人を傷つけるところだったか!」嚴はその言葉を聞いて驚き疑い、「人が虎に変じたというものか。故人だと言うが、誰なのか」と思った。躊躇していると、虎はまた言った。「李君、李君、あなたは私をお忘れか。」嚴はその声を聞くと、李微にひどく似ていた。嚴と微はかつて共に進士に登り、また同姓であり、極めて親しく厚い仲であったが、別れて数年、顔を合わせていなかった。突然その声を聞いて、驚き異とする思いに堪えなかった。もし李微であれば、なぜこのような奇怪なことになっているのか。しかしその声は確かに似ている。そこで虎に問うた。「あなたは誰か。まさか故人の隴西の李微ではないか。」虎は幾声か呻き吟し、泣くようにして長い後、答えた。「私はまさしく李微です。お別れしてからずいぶん経ちましたが、あなたは私の声を覚えていてくださった。真に故人を忘れぬ方です。」嚴は馬を下りて虎に問うた。「どうしてこのようになられたのか。先年、私はあなたと十余年間も試験の場を共にして、情誼はまさに同堂の兄弟のごとく、後に輦に付いて同年の友となりました。思わぬことに私が先に仕途に就き、慌ただしく王事に奔走する間、あなたもまた郡の佐官として出られ、互いに功名に邁進した。天南地北に離れ離れとなって久しかった。あなたの行方がどうなったかを知りかねているところ、今幸いにも出使のついでにお会いできたというのに、あなたは草の中に身を隠して姿を見せようとしない。これが故人の昔の誼というものでしょうか。」虎はまた幾声か嗟嘆して言った。「私はすでに異類の身、形は醜悪、あなたが私の姿を見れば、必ずや怖れ嫌って早く立ち去ることを望まれましょう。昔の誼を念じてもらえるはずがない。しかしながら、しばしお留まりください。私には打ち明けられぬ心中の思いがあり、告げる者もいない。今幸いに故人と巡り合え、ようやくその思いを尽くしたいのです。故人はお聞きいただけますか。」嚴は言った。「私はかねて兄事してきた故人に、直接お目にかかっても差し障りはないと思います。今はそれができないとのこと、拝礼を以て敬意を表し、それから故人のお言葉を拝聴しましょう。」と言って虎に向かって再拝した。虎は言った。「足下と別れて久しく、お声もお顔も遠ざかっておりました。足下の仕途はいかがでしょうか、また今はどちらへ。先ほど見ますと、足下には吏が二人おり、前に駅隷が印囊を携えて先導し、前後に供の者が簇がって声高に道を行き、声勢は赫々と輝いていた。御史として出使されているのではないですか。でなければ、なぜかくも騎従が多くて立派なのでしょう。」嚴は虎に答えた。「かつての経歴は足下もご存知のとおり。近ごろ聖恩を蒙って抜擢され、御史の職に就き、今は命を奉じて嶺南に使いし、ゆえにここを通りました。」虎はまた笑うようでも泣くようでもある声で言った。「あなたは文学で身を立て、朝廷に列した。誠に栄えたことです。しかも憲台は清要の地、百揆を糺し、聖明の特別な寵恩を受けておられる。さらに皇華の使命もあり、あなたの高才をもってすれば自ずとこれをやり遂げられましょう。故人のこの輝かしい栄貴を心より喜ぶものですが、私はもはや人でなく、あなたとお会いできません。悲しみの涙を増すばかりです。」嚴はまた言った。「往年、私とあなたは同年の間柄として深く親しく、他の友以上でした。あなたが不幸にして異類となられた。故人の情誼、どうして形骸によって隔てられましょうか。なにゆえ頑なに草木の中に身を隠されるのですか。」嚴と虎はとりとめなく言葉を重ねた。従者たちは両脇に立っていた。はじめは怖れ慄いていたが、やがてその言葉に文理があることを聞き取り、ひそかに小声で耳打ちし合って、その奇怪なことを議論し合った。虎はそれを見て嚴に言った。「故人の言葉は懇切であり、私の姿を見たいとのこと。私もお見せすることは別段差し障りはない。しかし故人の吏役が傍で密かに議論している。私が姿を見せれば、必ず怖れ嫌われる。私はすでに人であることができないのに、さらに人に憎まれるとは、いったいどんな苦しみか。」それに答えて嚴は言った。「姿を見せることをお望みでなければ、では虎に変じたことの詳細をお聞かせください。」
虎はまた嗟嘆して悲泣しながら言った。「言うと腸が断ち切れる思いですが、故人に詳しくお話しせずにはいられません。私は任満ちて家に帰り、心寥落として無聊のゆえに、呉楚の間に赴いて当事者に挨拶し、ほぼ一年を過ごして二三千金の贈り物を得て、虢略に帰って妻子を安堵させ、残りの資金を持って京師に上って補官しようとしておりました。汝墳の地に差しかかったとき、突然発狂し、頭が混乱して呼び叫び、人事不省のようになりました。ある夜突然、戸外で誰かが私の名を呼ぶ声が聞こえ、私はすぐ応じて外へ出ました。道は真っ暗で、しばらく歩くと山の谷間に至り、いつの間にか両手を地につけて歩いており、それがひどく快く感じられました。このとき心はますます狠く力は倍となり、自在に跳び回り、思いのままでした。股の辺りを見ると、斑毛が獣のように生えているのが見え、心中ひどく驚き異とした。立って歩こうとしましたが、できませんでした。急いで川辺に行って水に映してみると、まさしく猛虎で、心中悲慟して、生きていたくないほどでした。しかしここまで来てしまったからにはどうしようもないと思い、草沢に身を潜めるほかなかった。腹は空いたが、生き物を食わなければもとの人の形に戻れるかもしれないと思い、飢えを忍んで生き物を掴もうとしませんでした。しばらくして空腹に堪えられず、山の中の鹿・猪・獐・兎を食べることにしました。またしばらくすると、諸獣は私に食われることを恐れてみな遠くへ逃げてしまい、もはや手に入らず、空腹はますます甚だしくなりました。ある日、婦人が山の下を通りかかりました。ちょうど空腹に迫られており、食いたい気持ちが生じました。しかしまたあれは人だ、私は不幸にして虎となったが、どうして人を食ってその罪を重ねられようかと思い、その婦人を見送りました。またしかし、餓えに食べるものがないこれは天の恵みだ、これを逃せば次にいつ腹を満たせるか分からないと思い、前に出ようとして退こうとし、数度逡巡してついに自ら止めることができず、取って食ってしまいました。その味は甘美で格別であり、鹿や象とは比べものにならないほどでした。今もその首飾りが岩石の下にあり、取って証拠とすることができます。それ以来、いつも人を食うことを念じるようになりました。貴賤老若を問わず、歩行者も荷を担う者も、我の前を通り、力の及ぶ者はすべて捕まえて嚼み、食い尽くすまで止めません。これが常となり、もはや咎めを受けることを恐れる念も失せました。妻子を思わぬわけでも、朋友を思わぬわけでもないのですが、ただ神明に背き、ある日突然異形となり、人に顔向けできなくなったのです。ああ、私はあなたと同年に及第して情誼は深く、白頭まで朝廷に立つことを誓い合いました。あなたは今、王命を口に含み天憲を手に執り、妻子を栄えさせ、郷里を輝かせている。私はといえば、林の中に身を潜め、永く人の世と縁を絶った。躍り上がって天に叫んでも、天は憐れまぬ。地に伏して涙を流しても、地は惜しまぬ。身は朽ちて用をなさず、これが果たして天命であろうか。天が人に命を授けるに、始め人であって終わり異獣となるはずがない。罪業が深重にして、ここに至ったのです。他にどう言いようがあろう!」と言い、呻き泣いて悲しみに堪えなかった。嚴はまた問うた。「あなたはすでに異類の身となったのに、なぜまだ人の言葉を話せるのですか。」虎は答えた。「私の形は虎でも、心はまだ人のままです。過ぎし日の出来事は、念々として忘れません。ここに居を定めてから、歳月の長さは知らぬが、草木の栄枯を見るにつけ、ときに涙を流して草を濡らし木を湿らせています。語れる人もなく、人と語ることもできないのです。近頃は通る旅人もまったく絶え、飢えに堪えられなくなり、馬の一行を見て身を乗り出したのですが、思わぬことに故人にばったり出くわし、恥ずかしさのやり場もありません。」嚴は言った。「あなたがひどく飢えているなら、余分の馬が一匹あります。贈り物として残して行きましょう。」虎は答えた。「それはいけません。故人の後乗を食えば、故人を傷つけるも同然。そのようなことをお申し出にならないでください。」嚴はまた言った。「では食籠の中に羊肉が十余斤あります。あなたに差し上げましょうか。」虎は喜んだ様子で言った。「それなら故人の贈り物として受けます。しかし今は故人と旧交を温めている最中、食べる間もありません。故人の前で肉を嚼むのは、応対をおろそかにして無礼に過ぎましょう。お帰りになれば、後に取っておいて食べましょう。」嚴は左右に命じて羊肉を取り出させようとした。虎はまた止めて言った。「まだ待ってください、まだお話があります。私とあなたは真に形を忘れた友人です。お願いがあるのですが、故人は請け合ってもらえますか。」嚴は言った。「昔からの故人のお頼みに、お断りすることがありましょうか。ただ何事かを詳しくお聞かせください、必ずご期待に背きません。」虎はそこで礼を述べ言った。「あなたが承諾してくださらなければ、どうして申せましょう。今承諾してくださったからには、私とて忘れません。思い出せば汝墳の旅宿で発狂し、僮僕を打ちたたいて行李を顧みませんでした。やがて荒山に走り出て異類に変じ、もはや市井に入ることができず、来た道も忘れてしまいました。心はまだ明晰ですが、このような面相では人に会えば皆が慌てて避けてしまい、どこで僮僕や資財を探せましょう。思いもよらず、二人の奸僕が馬と衣囊のすべてを持ち去ってしまいました。妻子は虢略におり、私が帰らぬのを見て、また僕も帰らぬのを見て、どれほど心配していることか。まさか私が異類に変じたとは思いもよらないでしょう。あなたの公務が終わって南から京に帰られる折、どうか僕に手紙を持たせて、妻子を訪ねてください。私はすでに死んだと告げ、今日のことは言わないでください。人を驚かせ、私の醜態を広めることは望みません。これが故人への願いです。」嚴は拱手して「謹んで仰せに従います」と言った。虎はまた言った。「私は仕途にあったとき、僚友と合わず、傲慢ゆえに得るものが何もなかった。任満ちて帰り、貯えもない。子はまだ幼く自立できず、どうやって生計を立てるか分かりません。あなたは台省に列し、もとより信義を重んじ、昔の誼は手足のごとくでした。今この異類の身ゆえに初心を変えることはないと思います。ぜひとも稚い子供の孤弱無援を念じてときどき援助し、路上で餓死させないでください。これが真に莫大な恩となります。」言い終えると、また大いに悲泣し、人が号咷するようであった。随従の人々もその言葉と泣き声を聞いて、胸を打たれて涙を流した。嚴もまた嗚咽を禁じ得ず言った。「私とあなたは誓って禍福を共にすると誓っておりました。あなたの子は私の子も同然。すべてお委せいただいた以上、力の及ぶ限りご命令を果たし、決して背きません。どうして至らぬことがありましょうか。」虎はまた言った。「誓いを頂戴しましたので、もはや心配はありません。さらに一つお願いがあります。私には旧作の文章が数十篇あり、一生の精力のすべてをそこに注ぎましたが、世に出る機会がありませんでした。遺稿はありますが、妻は愚かで子は幼く、散逸してしまうでしょう。もしあなたが筆写してくださるなら、文人の仲間に入るほどではないとしても、子孫に伝えて、祖父が顕官ではなかったとしても文人であったことを知らしめることができます。」嚴はすぐに随行の吏人を呼んで、虎の口述を聞かせながら書き取らせた。ほぼ二十章に及び、文理は誠に高遠であった。嚴は繰り返し読んで感嘆し、言った。「あなたの文は誠に高美です。しかしこれほど長い時を経てもなお心に残っているとは。」虎は答えた。「これは私が生涯で最も得意とする作です。呉楚の間にあったときも、ときに念じていました。今この草むらにあっても、またときに念じています。どうして眠らせておけましょう。」嚴はまた問うた。「お命じになることはこれで全てですか、まだお話しになりきれないことがありますか。」虎は言った。「詩を一篇作ってあなたに贈りたいのです。外は異なりとも内に異なるところはないことを示し、また私の思いを述べて憤懑を発したいのです。」嚴はうなずいて言った。「ぜひお聞きしたい。」また吏人に命じて筆を用意させた。虎は朗々と吟じた。
偶々狂病によって殊類となり、災患相い継ぎて逃れ得ず。
今日の爪牙、誰が敵し得ようか、当時の声跡は共に高かりし。
我は異物として蓬莱の下に在り、君はすでに軺に乗りて気勢豪なり。
この日、溪山に明月を対するに、長嘯を成すことあたわず、ただ嗥くのみ。
嚴は読み終えて大いに驚いて言った。「あなたの才と行いは、かねてから私は知っていました。今、異形となった後でもなおこれほど高邁とは。慧業の文人は天上に生まれるはず、今は天に生まれず獣に堕ちた。必ずや問題のある行いがあって、ここに至ったのでしょう。ご自身で一生を省みて、悔いることはありませんか。」虎は嘆いて言った。「天地万物を造る者に、親疎厚薄の差はもとよりない。出会う時や恵まれる数については、私には知る術もありません。あなたの言葉が私の心を喚び覚ましてくれました。自ら悔いることを探せば、私にもあります。覚えておりますが、若いとき南陽の郊外でひとりの孀婦と関係を持ち、ことのほか深い情が生まれました。その後、往来が頻繁になって足跡が露わになり、その家の者に知られて危害を加えられかけました。私とその婦人はそれ以来会うことができなくなった。私は怒り憎む余り、風に乗じて火を放ち、一家数人を焼き殺して去りました。はじめは痛快に思いましたが、後には深く悔やみました。生涯で最も悔いることは、これです。ただ人を殺したゆえにこの業報を受け、さらに虎として人を食い続け、業はますます深まっており、この先の報いがどのようなものか、胸を打ち首を痛めて痛哭流涕するほかありません!」嚴は息をついて言った。「あなたの今日は、主にこのゆえです。しかしあなたが悔いを知っておられる以上、悪道でこの生を終えることはないでしょう。自らを過剰に悔い傷つけないでください。」虎はまた嗟吁して言った。「もはや終わりです。望みはない!しかし一つ申し上げておきたいことがあります。もし使事が終わって京に帰られる際には、他の郡を通る道をお選びいただき、二度とこの道を通らないでください。私は今日まだ悟りが残っており、故人を見分けられます。しかし胸の中のやり切れない思い、打ち明けられない情をようやくあなたの前で吐き出すことができました。私の用事はこれで終わりです。これ以降は、もはや人の世の念は持ちません。本性を失い、何も知らなくなることを恐れています。そうなればあなたがここを通っても、私には分からず、あなたを歯の間で砕いてしまい、士林の笑い者になるでしょう。これが私の切なる願いです。あなたはここから一里余り行くと小さな山があります。その上に登ればここを全て見渡せます。私はあなたにそこから私の姿を見せましょう。勇ましさを誇りたいのではなく、私の猛悪な姿を見て二度とここを通らないよう、これが故人への至誠の心でございます。」嚴はすべて唯々として承諾した。虎はまた言った。「あなたが都に帰って私の友人の妻子に会われたとき、今日のことを言わないでください。私の醜態を広めることは望みません。それゆえ何度も念を押してしまいました。あなたには奉命の期限があり、私が長くお引き止めして王事を遅らせてはなりません。ここでお別れします。どうぞお身大切に。また会う日の見通しはありません。」嚴は再拝して馬に乗り、草むらを振り返ると、号咷の悲泣が聞こえて、とても聞いていられなかった。嚴もまた声を上げて一場の号泣をして、それから馬を進めた。一里あまり行くと、果たして一つの嶺があった。その上に登って嶺下を見ると、虎が林の中から躍り出て咆哮し、岩谷はみな震えた。嚴はその言葉に偽りのなかったことを確認して、嶺南に赴いて命じられた公事をすべて処理した。事が終わるまでほぼ半年かかった。虎の言葉を思い出し、あえて旧来の道は通らず、別の道を求めて迂回して帰った。虎のその後の行方も分からない。京に帰って命を奏上し終えると、すぐに人を遣わして虎が渡した詩文を持たせ、自らも書一封を認め、弔問の礼をそえて、李微が真に死んだ者のごとく微の子のもとに訃を告げた。一か月余りして、微の子が虢略から京に来て、嚴を訪ねて謝礼を述べ、先人の棺を求めて帰葬したいと言った。嚴は返答のしようがなく、やむを得ず、微が呉楚を旅して汝墳に帰る途中で虎に変じ、相遇って口頭で詩書を授かり妻子への托を受けた顚末を、初めから終わりまでことごとく話した。その子は痛哭して帰った。嚴は旧交を念じ、またすでに虎の托を受けていたため、自らの俸禄を分け与えてその妻子に支給し、飢えと凍えを免れさせた。その子もまた文名があった。嚴はのちに兵部侍郎に至った。
古今の才士は少なくないが、虎に変じたとは未曾聞のことで、傲放の一念によってそこに至ったのである。世間の才士でもない者が、僥倖に一第を得ると、たちまち同輩を凌辱し、士庶に暴虐を振るい、上は千古を藐し、下は来世を軽んじる。そのような者がいったい何に変じるか知れたものではない。李嚴に至っては、異類の托を受けながら約言を違えず、俸を分け与えて子を養い扶けた。貧賤の友を見て漠然と一顧だにせず、死亡の際に路人のごとく見なす人たちに比べて、その賢不肖の差は何ほどのものか。
ここで末尾の詩を省いて、《黄鶯児》一曲をお聞きいただこう。
藻を揮るって卿雲を薄め、才を頼んで高ぶれば、身を失うことが多い。古来いかほどの者が奇難に遭ったか、虎の快心のゆえに。
蚡倫に文があり、身をもって法を説くとは信ずるに足る。また静かに沈吟せよ、誼友なければ、妻子は定めし漂流する。